ファッションデザイナー 奥村夏美さん
東京都生まれ。2013年に総合デザイン科ファッションデザイン専攻を卒業。大手アパレルでデザイナーを務めた後、フランスに留学。帰国後、個人ブランド「ナツミ・オクムラ」を立ち上げ2022年に正式デビューさせたほか、コスチュームデザイナーとしても活動する。
子どもの頃から美術が得意でアートが好きだったこともありますが、デザインの道に進む一番のきっかけになったのは、双子の姉の存在でした。
小・中学生の頃は、学校の成績やちょっとしたことで姉と比べられてしまうことに抵抗感がありました。双子だからといって比較されることなく、私自身の表現ができる道を極めていきたい。そんな思いで、高松工芸高校のデザイン科に進学しました。
デザイン科ではビジュアルデザインを中心に取り組んでいました。試行錯誤しながら自分自身の表現を磨いていくのが楽しくて、私が進むべき道はデザインなんだと確信したのを覚えています。
―― 〈桑沢〉への進学を決めた理由や決め手はありますか?高校生のときには、すでにファッションデザイナーの仕事やパリコレのランウェイに憧れを抱いていました。ただその後の進路選択については、ファッションを専門的に勉強するか、高校でやってきたビジュアルデザインを引き続き学ぶかで悩んでいました。そんなとき、私にデザインのいろはを教えてくれた恩師が「ここが合っているんじゃないか」とすすめてくれたのが〈桑沢〉でした。
調べてみると、少人数制でアットホームな雰囲気があることや、1年次には幅広いデザインを学べることがわかり、まさに自分に合っていると感じました。ファッションを学びたい人だけでなく、さまざまなデザイン分野に興味を持つ人たちが集まる環境も魅力的でした。
入学してすぐ「私は井の中の蛙でしかなくて、デザインにはこんなにも広い海が広がっているものなんだ」と驚きました。
授業や課題で自分の視野の狭さを思い知ったのもありますが、自分以外の学生から受ける刺激も大きかったですね。〈桑沢〉には個性的で向上心のある学生が多く、ユニークなアイデアや繊細な手作業、奇をてらったプレゼンなど各々の強みを活かした制作や発表をしているのが印象的でした。
先生方はそれに応えるように、デザインの良し悪しに限らず、表現に対していかに真摯に向き合ったかを評価してくれていました。
〈桑沢〉の授業や課題は、ゼロイチでデザインを生み出していくものが多かったように思います。たとえば服のデザインでいうと、100円ショップで購入したもので生地から制作する授業もありました。私の場合は、カラフルなビニールヘアゴムを編んでテキスタイルをつくりました。
生地屋さんで生地を選ぶところから始めるのではなく、ゼロベースで生地そのものからデザインを考えていく。そんなふうに、ゼロイチでクリエイティブを生み出していく力を徹底的に鍛えられました。
どんなに忙しくても大変でも、課題には全力で取り組むようにしていました。一夜漬けをして適当につくったような作品は、先生にも学生にも見抜かれてしまいます。せっかく評価してもらえる場があるのに、恥ずかしいものやすぐに忘れられてしまうデザインは絶対に出したくなかったんです。「これからファッションデザイナーとして生きていくのに、こんなことでへこたれていられない」と、がむしゃらな気持ちで課題と向き合う日々でした。
在学中から「いつかは自分のブランドを持って、憧れのパリコレに出展したい」という思いがありました。将来の独立を見据えてまずはデザイナーとしての経験値を積もうと考え、中小規模のアパレル企業に入社しました。
アパレル企業のなかには販売職を経てはじめてデザイン職になれる企業も少なくないのですが、1年目からデザイナー職として働けること、そして幅広い業務に携われる裁量権があることが入社の決め手になりました。その企業に3年半ほど勤めた後、さらにステップアップがしたいと大手アパレル企業に転職しました。
―― 奥村さんはフランスへ留学されたとうかがっています。滞在中はどのような経験を積んだのでしょうか?大手アパレル企業を退職した後、フランスへ渡り1年間を過ごしました。憧れのパリコレに携わる仕事をすることを目標に掲げるも、当時は何のツテもありませんでした。
転機になったのは、繊研新聞パリ支部の副編集長との出会いでした。「パリコレに携われるのであれば、どんなことでもやらせてください」と熱意を伝えたところ、パリコレで新聞配布などの仕事をさせてもらえることになったのです。
そのときに「Mame Kurogouchi」の黒河内真衣子さんともご縁があり、スタッフの一員として裏方の仕事に携わらせてもらいました。次シーズンのパリコレにもお声がけいただけてうれしかったですね。
パリコレのランウェイやバックヤードを実際に見るなかで、私もいつか自分のブランドで出展したいという思いがさらに強まりました。
そんななか、2020年の3月頃にはコロナ禍によるロックダウンを経験しました。そのとき部屋にこもってひたすら服を縫い続けて完成したのが、私自身のブランドとして最初にデザインした「20ss」です。ロックダウンによる外出規制が解除された後はすぐに帰国予定だったので、大急ぎでパリの街での撮影を行いました。
フランスから帰国後に独立し、現在は衣装リース(貸し出し)をしながら「ナツミ・オクムラ」というブランドを展開しています。
独立を後押したのは、SNS経由でスタイリストから衣装リースの声がけがあったことでした。最初に依頼があったのは、パリで撮影をした「20ss」です。その後、別のお仕事でSNS上で名前をタグ付けしてもらう機会があり、フォロワーも依頼も一気に増えていきました。SNSでの発信の重要さを改めて実感しましたね。
トレンドに寄せることはせず、何年経っても色褪せないデザインを大事にしています。「こういう服を探してた!」という感想ももちろんうれしいのですが、「こんな服は想像もしてなかったけど大好き!」と思ってもらえるような服をデザインするのが目標です。
自分のオリジナリティを大切に守り続けながら、服を着る人の気持ちや背景に寄り添い、長く愛してもらえる服をつくりたいと思っています。
「ナツミ・オクムラ」の正式リリースのタイミングで発表した「23ss」のコレクション、そしてそのお披露目の場となった「NATSUMI OKUMURA×YUQTA SAMSARAH」のショーの存在は大きかったですね。
実はそのショーのディレクションをしてくれたのは、〈桑沢〉時代からの先輩でした。卒業生で集まった際、その先輩が「ショーには出ないの?よければ協力するよ」と声をかけてくれたんです。それがきっかけで、初めて自身のブランドでショーを実現できました。
〈桑沢〉でゼロイチでデザインに取り組んだ経験は、感性やアイデアの引き出しを増やすことにつながりました。
すでにある服の写真を引っ張ってきて「こんなデザインにしたいです」と言うのは簡単ですが、優れたデザインは一朝一夕でできるものではありません。ゼロベースからいいデザインを生み出すには、いかに自分の引き出しを多く持っているかが重要だと考えています。
私は職業としてだけでなく、人生としてデザイナーの道を選びました。だからこそ、自分が人生で経験したことも出会った感情も、すべてをデザインに活かしたいんです。どんな人生経験も自分の糧になると信じています。
それはつまり、自分の生き方そのものがデザインに反映されてしまうことでもあります。薄っぺらい人生を送っていたら、自分がつくる服も薄っぺらいものになってしまうと思うのです。デザイナーである前にまずはひとりの人間として、誇れる生き方をしなければと思っています。
〈桑沢〉は、卒業後も支え合い切磋琢磨できる友人に出会える場所でもあります。私自身も、自分が立ち上げたブランドのショーの開催やブランドロゴの制作において〈桑沢〉で出会った友人にすごく助けられました。
各々の分野の第一線で活躍している友人たちは今も変わらずよき仲間であり、よきライバルです。定期的に会って話をしたりSNSで活躍を知ったりするたびに「私ももっと頑張ろう」と力をもらっています。
学生の皆さんには、ぜひ〈桑沢〉でそんな豊かな人間関係を築いてもらえたらうれしいです。在学中にともに切磋琢磨しあった友人の存在は、その後の人生でもかけがえのない財産になるはずです。
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