在校生インタビュー

たわいもない会話から
デザインに関する真剣な議論まで、
対等な立場で話せます
総合デザイン科2年 プロダクトデザイン専攻川島宇内
- 2000年東京都生まれ
- 2023年日本大学生産工学部卒業
- 2000年東京都生まれ
- 2023年日本大学生産工学部卒業
デザインの本質を学ぶ
ーデザインに興味を持ったきっかけを教えてください。
高校の授業で、筋電義手というプロダクトを知ったことがデザインに興味を持ったきっかけです。それまで、国・英・数・理・社という5科目以外の分野の職業があるということさえ知りませんでした。さらに調べていくうちにプロダクトデザイナーという職業を知り、大学では工学系デザインを学べる学科に入りました。ー大学ではどのようなことを学ばれたのでしょうか?
大学ではデザインについて広く浅く学んだように思います。大学3年生のころにはじめた就職活動ではメーカーのデザイン職を志望していましたが、実際に選考がはじまるとポートフォリオの完成度が足りておらず、なかなか思うようには進みませんでした。周囲が次々と内定をもらう中で焦りを感じ、途中から志望職種を営業職へと切り替えて就職活動を進めました。しかし、ある企業の最終面接で「本当にデザイナーを諦めきれるの?」と問われたとき、言葉に詰まってしまいました。結果的にその企業には落ちてしまいましたが、この経験から自分がデザイナーの道を諦めきれないことを再認識し、もう一度デザインを学び直そうと思い至りました。
川島さんがデザイナーを志すきっかけとなった筋電義手。筋肉から発生する電流を利用し自然な動作を実現。
ーなぜ〈桑沢〉だったのでしょうか?
大学では、CADやIllustratorなどのデジタルツールの使い方を学び、“デザイン”ができるようになったつもりでいました。しかし、就職活動を進める中で、PCがなければ何も生み出せないことに気づき、自分が“デザイン”だと思っていたものは、単なる小手先の技術にすぎなかったのだと実感しました。だからこそ、表面的なスキルではなく、デザインの本質的な力を身につけたいと考えるようになりました。その点、基礎を重視する〈桑沢〉は魅力的でした。先生らしい先生がいない
ー大学と〈桑沢〉に違いはありましたか?
まずは学生の熱量が圧倒的に違いました。大学では、課題を提出することがゴールになっている人が多かったのですが、〈桑沢〉では最後まで妥協せずに、提出期限ギリギリまでよりよいものを追求する人がほとんどです。お互いに意見を交わすことも多く、ときには衝突することもありますが、全員が本気でデザインに向き合っているからこそ、翌日には何事もなかったかのように戻れる関係性です。また、“ 先生らしい”先生がいないことにも驚きました。同級生にも個性的な人が多いですが、先生たちも同じく個性派揃いです。彼らは先生というよりは、デザイナー仲間のような存在で、たわいもない会話からデザインに関する真剣な議論まで、対等な立場で話せます。
ことばから発想することが多いという川島さんは、制作に行き詰まったときは図書室を訪れるそう。
諦めることを諦めた
ーこれから〈桑沢〉を目指す方に伝えたいことはありますか?
私自身の経験になるのですが、諦めることを諦めてよかったと思います。本当に好きなことは、どれだけ諦めようとしても諦めきれないものだと思います。実際に、同級生には社会人として何年間も働いた後に、デザインへの思いを諦めきれず入学した人もいます。もし迷っているなら、一歩踏み出してみてほしい。私も大学までは、周囲と違う道を選ぶのがとても怖かったですが、あのとき決断したことを今では心からよかったと思っています。ー今後について考えていることを教えてください。
卒業後は、医療系のプロダクトデザインに携わりたいと考えています。これは筋電義手に惹かれた理由でもありますが、医療はすべての人にとって必要不可欠であり、命に関わる分野です。誰かの “ 生きる”を支えられるプロダクトデザインを生み出したいと思っています。
