日本で最初の『デザイン』学校で未来を創造する【専門学校桑沢デザイン研究所】

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ホーム 就職・キャリア 卒業生インタビュー インテリアデザイナー//桑沢デザイン研究所 スペースデザイン分野専任講師 髙平 洋平先生
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インテリアデザイナー//桑沢デザイン研究所 スペースデザイン分野専任講師 髙平洋平さん

内田デザイン研究所に在籍し内田繁に師事。ホテルやレジデンスのインテリアデザイン、展覧会会場構成、家具設計等を手がける。
主な担当作品:MUNI KYOTO(京都嵐山) Fleur Pavilia (香港) WANDER FROM WITHIN展(ミラノ・ソウル・東京)等。
iF DESIGN AWARD、SKY DESIGN AWARD受賞
2020年より現職。

―― まずはじめに、デザインの分野に足を踏み入れようと思ったきっかけや、桑沢に入るまでの経緯を教えてください。

物心ついたときから絵を描くのが好きで、特にポスターやCDジャケットなどのグラフィックデザインに興味を惹かれていました。父がインテリアデザイナーで、商業施設の設計に携わっていたこともあり、図面やパースには馴染みがあったのですが、当時はデザイナーという職業についてほとんど知らなかったし、仕事にするとは考えていませんでした。4年制の夜間高校へ通っていた時に、担任の先生と進路を相談していく中で、子どもの頃の話や興味があることを話していくうちに、デザインの学校を勧めていただいたのが、最初にデザインの分野に進むきっかけです。その先生がとても熱心な方だったこともあり、色々な学校のパンフレットや情報を集めてくださって、学校を具体的に検討していきました。それで高校4年生の夏からデッサンを勉強し始めるのですが、美大や桑沢レベルの本格的な実技試験の準備をするには遅い時期ということもあり、桑沢の資料は先生もあえて出さなかったと後から聞きました。結果的に、情報デザイン学部のある大学へ推薦入試のような形で合格して入りました。

大学2年生の時に、大きな転機がありました。授業の一環でネパールへボランティアをしに行く機会があり、ポカラやカトマンズに滞在して、ホームステイをしながら現地の生活の中に入っていきました。街の風景を見ていると、身分制度はずいぶん前に廃止されたにも関わらず、差別構造が根強く残っている様子を目の当たりにしました。自分は職業を選択する自由を持っていて当然と思って今まで生きてきたけれど、世界にはそれが当たり前ではない人がいる。果たして自分は本気でやりたいことを今全力でやれているのか?という問いが頭を巡りました。改めて自分の選択を振り返ってみると、取っ付きやすいところやなるべくショートカットできるような選択しかしてこなかったのではないか。その時にもう一度本気でデザインを勉強したいという思いが芽生えてきました。日本に帰国してから、すぐに休学して浪人覚悟で再び予備校に通い始めました。始めは東京藝大を目指しましたが合格できず、結果的に3回目の受験を最後に桑沢へ行くことを決意しました。その経験がなければインテリアデザインの道には進んでいなかったと思いますし、今の自分の土台になっているなとつくづく思います。

▲ネパール・カトマンズでの写真

―― 桑沢在籍時代に印象的だったエピソードを教えてください

学生同士が議論を交わす風儀があったので、一つの投げかけに対して同調するのではなく「私はこう思う」とか「こういう考えもある」と、個々の意見がたくさん返ってきます。それに対して単に否定し合ったり忖度するのではなく、それぞれ色々なバックグラウンドがあり、異なる価値観や考え方を知ることができたのが良い経験でした。当時はグループ課題も多く、周りのメンバーに恵まれたこともあって、切磋琢磨してとても楽しく過ごしていた記憶があります。

▲憩う・食べる・学ぶという「生活の三様態」テーマのもと、これらの様態にともなう空間を、移動可能なもの(椅子、テーブル、エレメントオブジェ)で構成するエレメントデザインのグループ課題。講評終了後、ギャラリー・ルベインで展示された

▲ファッションブランドが、伝統的な布の雑貨を見直し、日本人が持つ繊細さ、質素で簡素なものを見つめる心に出会う場として「日本の新しい雑貨」を情報発信する空間を提案するインテリアデザインの課題。空間をギャラリーと販売に分割し、風呂敷や手ぬぐいのさまざまな造形的魅力を伝え、インスピレーションを与える空間に

私が入学したのが、内田繁さんがちょうど所長として就任した時期でした。専門課程に進んでから内田さんの授業を受けつつ、内田デザイン研究所へインターンにも行かせていただいて、授業以外のところで先生の仕事や人となりを知ることができたことも、今思えばとても勉強になっていたなと思います。学校では先生と学生という関係であるけれど、一歩外に出ると一人のデザイナーとしての内田さんに触れる。当然厳しいし、学生に対する接し方もしません。第一線で活躍するデザイナーが、本気でデザインと向き合う姿を間近で見て学ぶことができたのは、かけがえのない経験でした。そういった関係性も桑沢にいたから築けたのかもしれません。

―― 学生時代も含めて、内田デザイン研究所ではどのようなご経験をされましたか?

声をかけていただいて、研究所に通うようになったものの、インターン初日に自分がいかに何もできない存在かを思い知って、その悔しさは今でも鮮明に覚えています。自分たちが普段学校でやっている課題から想像するよりもはるかに遠くで仕事をしている、そのクオリティの高さに圧倒されました。そこから模型作りや資料の作成、展覧会の設営などに駆り出されて、技術的なことを学んでいくと同時に、内田さんの身の回りのサポートもしていました。桑沢在籍時からそうした道に入ることに迷いは全くなく、この人のもとでなら、厳しい環境でもやっていけるしやりたいという気持ちが強かったです。最初は3年くらいを目処に経験を積んで、他の事務所へ移ったり独立するようなキャリアを想像したりもしていました。内田デザイン研究所は家具からプロダクト、住宅、建築に至るまで、スケールも分野も大小多岐に渡ります。一つの案件を経験しても、次は全く異なるタイプのものを担当するので、3年では全く足りない。結局自分自身の経験に納得するまでに9年かかりました。しかしインテリアデザイナーという肩書から世間一般の人が想像するような領域を、はるかに超えるような仕事に取り組めたことは、自分の自信にも繋がっていきました。

―― 内田デザイン研究所で担当された中で、思い入れのあるプロジェクトを教えてください。

たくさんあります。一番はなんといっても在籍時に最後に手がけた新築ホテルですが、ミラノサローネで公開した『WANDER FROM WITHIN展』の家具の設計はとても思い出に残っています。研究所内と一緒で、職人さんもみんな本気で取り組んでいるので、少しでも気が緩んでいると怒られましたけどね。お互い良いものを作りたいがためのぶつかり合いでしたし、特に礼儀の部分は、現場の職人さんから教えていただきました。今の学生はそういったことを教えてもらえる機会が格段に減っているので、私がたまに嫌われ役を買って学生に厳しいことを言うこともありますが、若いうちに失敗したり恥をかくことを恐れずに、どんどん学んでおくべきだなと思います。

Photo by Tim Wong

▲工場での制作の様子

それからユニークな仕事で印象に残っているのは、世界中からデザイナーが集まってアイスの棒をテーマにそれぞれ作品を発表するプロジェクトです。社内コンペで私の案が採用されて、スイス・ヌーシャテルにあるPalaisギャラリーの「エスキモー」展で発表されました。最終的にその展覧会の作品は全てスイスのデザインミュージアムのパーマネントコレクションになりました。

▲北極にある一輪のはかない花をイメージした作品(ガラス製作:桐山製作所)(左)
 コンセプトイメージ(右)

―― 最後にご担当されたホテル(MUNI KYOTO)の設計は、内田さんがご存命の間に最後に受けられた仕事だったそうですね。

紆余曲折、足掛け4年で作ったプロジェクトだったので、完成した際には感慨深かったです。多くの人が携わる一方で、去っていく人もいました。新型コロナに重なったり色々なことがありましたが、職人さんの力を大きく感じたプロジェクトでもありました。先程の礼儀の話にも繋がりますが、現場に行って知らない人でもきちんと挨拶したり声をかけることが、いざという時に「ここはこっちで調整しておくよ」「高平さんのためならやるよ」と、職人さんからの信頼度に繋がっていたことを実感しました。自分のことだけではなくて、一緒に仕事する人と共にいい仕事をするために必要な積み重ねができたので、そういうことも含めてやり切ったと思えたのだと思います。この件で内田さんが直接図面を引くことはありませんでしたが、最後の仕事を自分自身で納められたということも、やり切ったという感覚に繋がっているような気がしています。

Photo by Satoshi Asakawa

―― 独立してからは、どのような活動をされていますか?

桑沢で非常勤として教え始めたのが2017年で、独立してからも桑沢での講師を続けつつ、展覧会の会場構成や舞台美術・フライヤーの制作、直近では軽井沢のホテルの設計に携わっています。松本にあるアンティーク家具を扱う会社と協働して、元々保養所として使われていた施設をホテルに改修する計画で、3階建ての2階と3階の客室のデザインを担当しています。そのアンティーク家具の会社らしさを伝えるためにも、単にデコラティブな空間にするのではなく、その家具と過ごす滞在時間がより豊かになるような空間はどういうものだろうと考えているところです。それぞれの部屋のベースとなるようなフォーマットは決めつつも、来る度に違う部屋に泊まると新しい発見があるようなデザインにしたいなと思って進めています。

Photo by Alfie Goodrich

▲国内外でパブリックアートを手がけるWA!moto.ことMotoka Watanabe による個展の会場構成

▲爆笑するほどでもない不条理劇朗読会より、エドワード・オールビー『動物園物語』の舞台美術

▲軽井沢に計画中のホテルのインテリアデザイン

―― インテリアデザインの今後の課題や傾向について教えてください

インテリアデザイナーの職能に対する偏見や誤解を実感することはいまだに多々あります。いわゆる装飾的な表面の仕上げやカラーコーディネートだけを考えるのではなく、壁・床・天井の位置や構成・建築構造なども考慮しながら、最終的には人の手に触れる部分の仕上げや家具まで手がけ、空間を作り上げるのがインテリアデザイナーの仕事です。建築家と対立することもありますし、業界のヒエラルキーとして、対等な関係性に見られないこともあります。海外ではインテリア・アーキテクトとも呼ばれますが、日本の業界内でもその職能への認識を高めることが課題です。

また新型コロナであらゆる業界が打撃を受けたように、経済活動に左右されることは間違いありません。デザイン業界も建築業界と連動して一時厳しい状況にありましたが、今は復活して新しい取り組みも増えていくでしょうね。競争の中で商業的な成功を求める世界ではありますが、それに加えてインテリアデザインそのものを文化的な活動として捉える視点も今後もっと増えたら良いなと思います。例えば舞台美術や展覧会は、ビジネスとして運営するには厳しい側面もありますが、より実験的なことをやりやすい機会で、空間の面白さや体験を多くの人に感じてもらえる仕事だと思います。特に独立してから両方を行き来できているので充実感があります。

―― デザイナーとして、どのような素養や価値観が大事だと思われますか?

前提として、人に優しくあることではないでしょうか。親切心と言えるかもしれないし、見方を変えればお節介かもしれない。時にはおこがましいとか押し付けがましいと思われるようなことでも、一つの物事に対して、自分はこう思う、こうしたほうがもっと良くなるといったような意見を持つことが非常に大切です。そのような軸を持つためにも、色々な世界や生き方があることを知っておくと強いと思います。今まで色々な恩を受けてきて、それを次の誰かに渡していく時に、直接的な親切でももちろんいいとは思いますが、私の場合はデザインに置き換えて返していきたいと考えています。そう思うと、人に対して真摯に向き合う姿勢なのかもしれないですね。

―― これからデザインの道に進みたいと思っている学生や受験生に、伝えたいメッセージがあれば教えてください

迷ったら人と違う方を選ぶ選択肢もあると思うと気が楽になると思います。遠回りをしてみるのもいい。遠回りをしたとしても、それを活かせるのが桑沢です。色々な選択肢ややり方を許容する社会になってほしいし、逆にそういうところをポジティブに捉えるような企業や事務所に行くべきです。最近はすぐ答えを求めがちで、学生にも「先生は何を期待してるんですか」とか「何が答えですか?」と聞かれることがたまにあるのですが、それを考え続けることがデザインの真髄であるように思うし、自分なりの答えを見つけていくことに自信を持ってほしいですね。

桑沢の学生の作品には、今ある環境を観察した上で「こんな世界があってもいいじゃないか」という答えの一つとして、可能性を秘めた独特の輝きを放っているので、私自身もはっとさせられることがよくあります。桑沢は自分なりの答えを探すための「研究所」なので、実験の場です。恐れないでどんどん実験してみたい人が集まってくれたらいいなと思います。課題は地味で単調な作業もありますが、その積み重ねが最終的に卒制のような形で表現されていくので、そこに熱量を注げる人にはぴったりの場所だと思います。


インタビュアー:元行 まみ
桑沢スペースデザイン年報(2021-2022)の編集などを担当
<2023年3月>
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