日本で最初の『デザイン』学校で未来を創造する【専門学校桑沢デザイン研究所】

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卒業生インタビュー

小田 竜太郎

デザイン専攻科 スペースデザイン専攻
2012年卒業

小田 竜太郎 / 建築家

小田 竜太郎

建築家

  • 1989年宮崎県生まれ
  • 2008年宮崎県立延岡星雲高等学校卒業
  • 2010年日本デザイナー学院卒業
  • 2012年磯崎新上海アトリエ
  • 2015年HMA Architect & Designers
  • 2015年株式会社 松山建築設計室

高学歴の人たちが多い建築業界のなか、私はバイタリティーで勝負しているのかもしれません。現在は、住宅やクリニックの設計を主とする建築事務所に所属しています。仕事の新しい依頼が入ると社内コンペで案を出し合うことになっています。そういうときは誰よりも多く案を出しています。上司からは、仕事で大事なのは学歴よりもデザイン力よりも、まずは人間力だといわれます。施主と予算やスケジュールの話をするためには、相手に信頼してもらえる人間でなければなりません。建築の面白さに目覚めたのは、18歳で入学した東京の専門学校を卒業する1年前でした。偶然、ある大学の卒業設計展を見て衝撃を受けました。「もう一度建築を学ばせてくれ」と親に懇願しました。友人や知人に聞いて評判のよかった〈桑沢〉の夜間部に決め、働きながら通いました。

 興味深かったのは住宅の授業で、建築史や基礎造形も好きでした。また自分が所属しているコースとは違う、昼間部の人たち、さらには他の分野を学ぶ年の近い人と出会えたことがすごくよかったなと思います。学生時代に面白い人と縁があるかどうかで、その後の自分が面白くあれるかどうかが変わってくると思います。いろんな背景をもちいろいろなことをやっている人たちに囲まれていると、自分ももっとやろうと思えてくるからです。〈桑沢〉には、ひとつのことにとらわれず、気軽にやりたいことに取り組む変化球タイプの人が多いです。先生たちは個性的で、ゲスト講師にも魅力的な方が来られます。それが刺激になり、柔軟性が自然と身につけられる環境があります。社会に出ると、特に建築の分野では勉強ができる堅いタイプの人が多い。でも周りからさまざまな圧力がかかる環境のなかでは、堅いだけでは折れてしまう。芯をもちながら柔らかくしなることが強みになります。

卒業後は日本を出たくなって、妻と一緒に上海に飛び出しました。しばらくして先生の紹介もいただき、日本人スタッフを募集していた磯崎新上海アトリエに入りました。驚くほど力をもった人が集まっていましたし、中国語と英語が話されるアトリエではじめは言葉もわかりません。8000平米もある博物館を担当したとき、現場との調整ストレスなどで体調を崩してしまいました。しかしその後もいろいろな縁をいただき建築の仕事を続けています。私自身、仕事をする場所は面白ければどこでもいい。フレキシブルにやってきた経験が、いまにつながっています。

 <インタビュー 2017年3月>©桑沢デザイン研究所

小田 竜太郎

小田 竜太郎

模型(上)と平面・立面図

 <インタビュー 2017年3月>©桑沢デザイン研究所

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