アートディレクター、グラフィックデザイナー 吉田昌平さん
1985年生まれ。広島県出身。 桑沢デザイン研究所卒業後、デザイン事務所 株式会社ナカムラグラフを経て、2016年 白い立体として独立。雑誌・書籍のデザインや展覧会ビジュアルのアートディレクションなどを中心に活動。 その他に、紙や本を主な素材としたコラージュ作品を数多く制作・発表する。作品集に 『KASABUTA』(WALL 2013年)、『Shinjuku(Collage)』(numabooks 2017年)、『Trans-Siberian Railway』(白い立体 2021年)
http://www.shiroi-rittai.com/
まずはじめに過去の学校案内を拝見させていただいたところ、パッケージが凝っていて魅力的なものが多い印象でした。自分自身の専門性としては、エディトリアルデザインなので、本を触った時にまずは面白いと思ってもらえるような造本を意識しようと思いました。ページごとにサイズが変化したり、ページ自体が上下二段に分かれたり、紙の質感も変化する仕様にしたので、めくる度に楽しさを感じてもらえると思います。ページ構成が複雑な分、文字組みは読みやすくなるようシンプルなデザインにしています。予算的な折り合いはあるものの、色々と挑戦させてもらえたことで新たな発見もあり、取り組んでいてとても楽しかったですね。また上下分かれているカリキュラムのページは、知識や技術の基礎と専門を並行して学んでいく桑沢の教育理念ともリンクするようになっています。
―― デザインの道を目指すに至ったきっかけを教えてください。元々広島の美術短大で彫刻を学んでいましたが、卒業後の進路や仕事について考えていた時に、ずっと興味ある分野だったデザインを勉強してみたいという気持ちが強くなりました。それまでもパソコンで制作をしたりしていましたが、体系的にしっかり学んだことはなく、将来仕事として取り組めたら良いなという考えから、桑沢を目指すようになりました。当時はインターネットも学校だけにあるような状況で情報を得る機会がなくて...なので「デザイン」というと漠然と東京を目指すイメージがありました。現在携わっているアートディレクションやエディトリアルといった分野のことも桑沢に入ってから知りましたね。桑沢の夜間部であれば、お昼に働けば学費も工面できるし、現役で活躍している人たちをたくさん輩出しているということを親への説得材料にしました。
―― 桑沢での在学時、どんなことが印象に残っていますか?夜間部なので年齢が上の人が多く、一度社会人を経てから入学する人もいて、そういった色々な人との出会いは面白かったです。当時はグループで何かを作ることをしている人が多く、自分も友達と映像を作ったりだとか、普段一人ではやらないことに取り組んでいた時間がとても楽しかった記憶があります。現在でも続けているコラージュをその頃から少しずつ始めて、デザイン事務所に入るというよりは、自分で作品を作って発表する作家活動に興味がありました。1年生の時に授業で西本剛己先生と出会い、先生自身が空間デザインの仕事、現代美術家としての活動を並行しているというお話を聞いて、その時の自分の想いを打ち明けました。するとデザインと作家活動を同時並行している人は特に最近少ないから絶対に続けた方がいいよと言われたことが、今の活動のベースにもなっています。
―― 吉田さんの中でコラージュはどんな存在ですか?コラージュに関しては、すごく自由で、考えて制作しないようにネットフリックスを見ながらやることもあるし、デザインで少しモヤモヤした時にコラージュをやって息抜きすることもあります。デザインとコラージュがバランスよく生活の一部にあるようなスタンスですが、基本的にはその2つは別々の軸にあります。コラージュの展示としては昨年7月、飯田橋にあるアートギャラリー「Roll」で『KASABUTA』という個展をさせて頂きました。今回の学校案内も、桑沢の職員の方が『KASABUTA』を見にきて声をかけて下さったことがきっかけで始まりました。
桑沢を卒業してから1〜2年ほど、カメラマンのアシスタントやギャラリーでアルバイトをして過ごしていました。友達とデザイン事務所を始めようともしましたが、クライアントもいないし仕事がない状態だったので、人脈やスキル、仕事の進め方などを一から学んだ方がいいのではないかということで入社したのがデザイン事務所「ナカムラグラフ」です。エディトリアルや紙ものを中心に扱う事務所だったこともあり、独立するまでの6年間、色々と勉強させてもらいました。2016年に「白い立体」として独立するのですが、ナカムラグラフの代表の中村さんに独立する時には家でやるんじゃなくて、色々な人に来てもらえる場所を持った方がいいとアドバイスをもらって、独立するタイミングで事務所を借りてスタートしました。全く仕事がない状態で借りるのは不安でしたが、最初に場所を持てたことはとてもよかったと思ってます。
―― ご自身の中に転機になった制作物はありますか?雑誌『BRUTUS』で森山大道さんの特集号があり、その中の特集付録のタブロイド版『Kingdom of MOROCCO』のデザインを担当していた時に、森山大道さんの写真をコラージュさせていただきました。森山さんはものすごい数の写真を撮られているのに、僕が森山さんの写真を少ししかコラージュしていない状態を考えると、向き合い切れていないというか、とても失礼な気がして、もっと森山さんの写真をコラージュしたいという気持ちになりました。それで、勝手に森山さんの写真集『新宿』をまるっと1冊解体してコラージュを続けていました。時間的には独立したタイミングぐらいだったので、仕事もなく時間があればコラージュするような状態で。その時間は今でも濃い思い出になっていますし、後にその作品も本になったので思い入れがありますね。
今年から『あまから手帖』という関西の雑誌にお声がけいただいて携わっています。元『dancyu』の編集長だった方が『あまから手帖』の編集長へ就任されたことを機に、これからどういう雑誌にしていくか、というところから色々と話をしてリニューアルのデザインを一緒に作っていきました。雑誌の場合は書籍に比べて制約が多いこともあり、制約の中で選択していく必要があります。例えば、在庫確保のために半年〜1年単位での購入を視野に入れて紙を選定したり、制作や営業など多くの人が携わる上に動く金額も当然大きいので、それによる緊張感もあります。雑誌に限らず書籍の仕事でも、100%自分の思い通りにいくことはほぼありません。それでも切り替えてどう次の手を考えるかが、この仕事の大事な部分でもあると最近は思います。一番いいと思って出した案ができないことがわかった時に、相当踏ん張らないと次の一歩に進めないので、昔はそれが苦手だったのですが、それよりもいいものを返せたらクライアントの方も喜んでくださるので、今は段々と前向きに考えることができるようになりました。それもある意味、自分だけでは完結しない、人と一緒にやることの醍醐味かもしれませんね。
エディトリアルに関しては社会的な影響もあって、紙自体が廃盤になったり印刷費が値上がりしてしまったり、本がなかなか作れない貴重なものになりつつあります。雑誌も同様になくなっていく傾向にあるので、紙という媒体でどこまでできるかを考えつつ、一冊一冊を大事に作り続けたいなと思っています。僕は少し前の世代の雑誌が好きで「雑誌ってこんなにもドキドキして面白いものを作れるんだ!」という憧れもあります。ただデザイナーとしてそういった時代を経験している訳ではないので、業界的な縮小によって若手の人材や編集者が活躍したり育つ環境も減っている気もします。そういった課題はありますが、同時に変革を起こしていける過渡期でもあるなと感じているので、挑戦を続けていきたいと思っています。
また、業界的には電子書籍やウェブなど、本ではない選択肢も増えているのも確かです。一方で、デザインに関してはまだその棲み分けが曖昧なので、工夫次第で本と組み合わせて面白くできる余地もあるように感じています。また電子書籍だけでみても、現在は本のデザインをそのまま電子書籍に転用するケースが多いのですが、電子書籍に一番合う形でデザインを追及することも今後はもっと考えられるのではないかと思います。
その他に、最近は美術館の展覧会ビジュアルから図録、展示の見せ方のディレクションをする機会も増えてきました。空間としてどう見せていくかということに対しても、自分としてはこれから色々と挑戦してみたいと思ってます。
何かを続けていくことは意外と難しかったりするのですが、続けている人というのはやはり芯があって強いなと思います。周りを見ていても、続けていくことで最後まで残っていくし、自分も含めて好きなことや興味を持ったことを楽しみながら続けていると、様々な方向に道が開かれていくのではないでしょうか。ただ、続けたいなと思うことを見つけるためにも、色々と体験することも大事だと思います。この社会にいると学校に行って就職してと、すぐ動かなくてはという感覚になりがちですが、仕事を始めるとそれ以外のことを経験する機会が減ってしまいますし、正直僕はもっと寄り道したかったです。焦らずに自分の道を見つけてほしいなと思います。
桑沢スペースデザイン年報(2021-)の編集などを担当